彷徨う哀愁と情熱の踊り子、伊福部昭の協奏風狂詩曲

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ようこそ、ようこそ、ようこそ!
クラシック&ゲーム音楽好きの中村卓矢です。

旅をする若い踊り子のような曲はお好きですか?

TVゲームに例えるならば、そうっ!冒険途中で出会った強大なる力を秘めた若く美しく、民族衣装を纏った踊り子のようなあの感じ。
聞いていると、とある大地(アジアやスラヴのような大地)に根ざし、

土の匂いがする素朴な美しさと情熱に溢れたような曲のことです。

今回は、そんな感じのする伊福部昭の「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」の話を分かち合いたいと思います。

土俗的エネルギー炸裂する大御所、伊福部昭の「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」

作曲者はどんな人?

日本のクラシック音楽(現代音楽)、ゴジラを始めとする数百もの映画音楽、音楽教育を極めた日本を代表する作曲家。

祖父の代まで60代以上続く神官の家系、少年期はアイヌ文化が残る北海道で過ごしたことから、
「自らの民族性を踏まえずして、普遍的な芸術には到達することはできない」という信念を持ち、

アジアや日本人の血がさわぐような曲を残していった。

1946年~1953年、戦争により教師が不足した東京藝術大学で作曲の講師を務めた。これがまたカッコイイ!

権威と保守性が蔓延るこの音楽学府で、

定評のある美しか認めぬ人を私は軽蔑する
「芸術家たるものは、道ばたの石の地蔵さんの頭に、カラスが糞をたれた、その跡を美しいと思うような新鮮な感覚と心を持たなければならない」
「ブラームスは24年、バラキレフが32年かけて交響曲を書き上げた。真の創作とはこのように息の長いものだ」

と情熱的に語り、たちまちに学生たちを魅了。その中からは、芥川也寸志や黛敏郎など戦後の作曲界の大物が生まれていくことになるのだった。

さて、そんな彼がつくった「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」はどんな背景でつくられたのか?

時は敗戦直後の時代である1940年代後半。
戦争に敗け、機械文明や近代文明に幻滅。自身も病気になり、
仕事も2回の通勤で給料が飛んでしまう程の薄給だった
音楽学校の講師の仕事のみ。小さな子供もいる。

自分も国も明日はどうなるかわからない。

そんな中、わびしい動物の鳴き声が聞こえてくる日光の山奥で、作曲され1948年に最初の版が完成。

以後何度の改訂され1971年の第3版に落ち着く。

伊福部曰く
「ヴァイオリンは優れた流派が確立しているが、この作品ではそこから離れたジプシィ・ヴァイオリン
に近い様式をとった」
「洗練され、ヨーロッパ化した様式や近代の虚脱から逃れたい。この楽器の祖先はアジアにあるのだから」
と語っている。

まとめ_荒野で儚くも躍動する美しき踊り子

この広大なる荒野、明日はどうなるかもわかならい。流浪の民。

そんな中、母なる自然という原点に想いを馳せ、語りかけるかのように

時には哀しく、
時には官能的に、

時には情熱的に躍動するっ!!

また、第1楽章の07:23頃にはあの有名な映画であるゴジラのテーマ曲の元ネタである
「ドシラ、ドシラ、ドシラソラシドシラ」が登場する。
他にもゴジラ関連の映画の元ネタにである音がちらほら聞こえてくる。

独断と偏見に基づく劇場型感想

※広上淳一指揮、徳永二男ヴァイオリン、日本フィルハーモニー交響楽団1997年(CD伊福部昭の芸術5 楽 )の演奏に沿ってのレビューです。

※時間は全楽章を合計した以下の動画に沿っています。

第1楽章

0:00頃
「ヒゥョョォォォォォォォォォ」
風の荒み、宵闇に包まれようとしている黄昏時の広大なる荒野。

まわりからは、悲しさを引き立てるかのように、鳥や動物の鳴き声が聞こえる。

「ザっザっザ」と

その中を旅する一団。足取りは重く暗い表情。

信じていたものが打ち砕かれ、変わり果ててしまった故郷を飛び出し、
迷いながら旅をしている。

目的となる地は本当にあるのか。これからどうすればいいのか。

明日はどうなるのかわからない。
一団そんなやりきれない、失望の内に沈んでいる。

足が止まる。

そんな中、懐かしの故郷、母なる自然という原点に想いを馳せて、

踊りを始める若く不思議な力を秘めた美しい踊り子。

最初はもの哀しく、静かにねっとりと染み入り、どこか素朴な官能さで、
語りかけるかのようにゆっくり踊っている。

「ああ、母なる大地よ、父なる自然よ・・・」

04:43頃
踊り子に何かが降りてきたかのように、今までの動きとは打って変わって
明るく激しい動きに。

それはそれは、情熱的で躍動感と素朴な生命力溢れる故郷の踊りだった。

05:55頃
周囲の人達もその踊りを見て、引き込まれる。

故郷を思い出し無意識の内に体が動き、合いの手みたいな太鼓と手拍子をし始める。

07:23頃
!?
大自然の神(聖獣)が踊りにつられて、顔を出す。
例えるならば、引きこもったアマテラスが外の楽しそうな踊りにつられて出てきて、
世界に再び光が戻った。

そう、あの日本神話、天の岩戸の物語のように。

踊りが皆の心と、荒野に光を・・・生命の伊吹を吹き込んでいるというのかっ?

09:48頃
だがしかし、踊り子は力を使い過ぎたのか、顔を出した聖獣は消えてしまった。
生命の伊吹が消え、周囲はまた元の荒野に静まりかえってしまう。

あれは幻だったのだろうか?

そんななか、踊り子は弱弱しくも再びたちあがり、健気に踊る。

12:22頃
そして、また情熱的に踊る。息が荒い。体は汗まみれ。手を命を燃やすかのように。最後の力を振り絞って躍動するかのように。
全力で。祈りを大地に捧げる。

そして全ての踊りを踊りきって倒れてしまった。

第2楽章

倒れた地面に突っ伏した踊り子。皆がかけより心配している。

その時、踊り子は朧げながら、何かに気がついた。
姿は見えない。だがどこからか、「ドン、ドドド、ドドドン」足音のような息吹のような音が聞こえる。

近づいている?・・・・近づいてきてる!

00:47頃(動画だと14:54頃)
姿を見せた聖獣。今度は幻じゃない。本物だ。本物だぁーー。

生命の鼓動・生命の律動。

その力がどんどん増してくる。
うるおいが戻り、草が這うように、木が天を突くように伸びていく。
荒野に命が吹き返し、大地が活気を取り戻していく。

まるで、懐かしき自然の恵みに祝福された故郷の様に。

06:12(20:17頃)
踊り子は、その様を見て、安堵の表情を浮かべている。
儚い命の炎がゆらり、ゆらりと風前の灯火のように揺れる。

そして・・・踊り子は瞼を閉じた・・・・。

07:28
再び、大自然の聖獣は巨人の如く行進していき、生命の律動と鼓動が増していく。
旅の一団は生きる希望を与えてくれた踊り子の働きと聖獣の恵みに感謝の意を捧げ踊り、

物語は幕を迎える。

・・・
この曲を聞いているとそんな世界が目に浮かんで来る。

BGM使うならば

BGMとして使うならば、
信じていたものが打ち砕かれ、目的を失った時、原点へたちかえって再スタートするときに。
失ってしまった大切なものへの哀歌(エレジー)として。
最後の命を燃やすときに。
自然界の精霊のテーマとして。
素朴で美しい踊り子のテーマとして。
荒野や平原で夜を過ごすときに。
広大なる平原や荒野などを流浪したり旅する一団のテーマとして。

そんな時に、使うといいかもしれない。

お奨め

演奏は広上淳一指揮、徳永二男ヴァイオリン、日本フィルハーモニー交響楽団1997年演奏が

お奨めです。

またこの曲の様に、

放浪する踊り子のような曲を堪能したい方には、

ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲
がお奨めです。
どうぞ、土や民族の匂いのする情熱的な踊り子音楽をご堪能ください!

 

追記(一緒に聴きに行きませんか?)

今年の7月10日に伊福部昭の演奏会がミューザ川崎であります。
 
もし、よかったら一緒に聴きに行き、ちょっとお茶でもしながら
伊福部音楽についてお話でもしませんか?
 
コンタクトは以下のいずれかから、どうぞ!
 
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「世界を痛快一変する」こと信条に企てを実行するKAIDENDOの創始者。 強みは、人と組織の持つ世界観を芸術化できること。 その強みを活かし、人や組織の持つ理念を芸術可視化するサービス「RINE」運営。 現在は、ライフログサービスYATAABA開発中。

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