心の絵

主軸をたくさんつくれる力があれば幸せな実態をつくれるのでは?

Pocket

ようこそ、ようこそ、ようこそ・・・
kaidendoの中村卓矢です。

今回は哲学的な話です。

ここ200年ぐらい前からだろうか・・・
産業革命がはじまり、
テクノロジーはどんどんできることを増やしていき、
やがて現在・・・
モノがあふれる豊かな状態を作り出した。
食べ物はあるし、
数百年前の特権階級の人でさえ手にできなかった
快適な空間で過ごせるし、
頻繁に死の危険を感じることもない。
おかげ様で大分生きるのは楽になって
ストレスも少なく
幸せになったかなと思ったら・・・

思った程ではなかった。

「なぜに?」

もしかしたら、
私たちが生きている現代世界は昔よりはたしかにスゴくなってはいるけれど、
現代人の理想感覚からすれば
まだまだ完全ではなく問題だらけなのかもしれない。

もしかしたら、環境がよくないのかもしれない。
私は、
「人格(内面や感情)は環境に適応するためにできた生体反応のひとつに過ぎない」
「人格は名ばかり管理職みたいなもの」
「環境が良ければ人も良くなる(幸せになれる)可能性が高くなる」
と思っている。
が・・・それはまた今度考えるとしよう。

これから先の未来、
人類は今よりもものすごく恵まれた環境を作り出すと思う。
だが、どんなに恵まれた環境にいたとしても、
不幸になる方法はある。

あえて・・・あえて人が持つ内面的なものに
「思った程幸せになれない」原因があるとするならば、
主軸創造力が関係しているのかもしれない。

今回は、この主軸創造力について
お話をしたいと思います。

主軸をたくさん勝手につくれれば、楽しく過ごせる

心の絵
「??主軸創造力って何?」
・・・・今つくった言葉だ。

主軸とは簡単に言えば心の拠り所みたいなものだ。
拠り所となるものとリンクさせ自分の大切な体の一部の様に吸収一体化することで
人は安全で快適で生存し続けることができるマイワールドをつくっている。
人は誰しも心の拠り所を頼って生きている。
「いやいや、俺そんなに軟弱じゃないし。挑み続けて一人で強く生きていけているし↑」な人でさえも、
「強い根拠なしの自信」という拠り所を持っている。
「外なる成果も内なる感情にも執着しない」という
ブッタみたいな考え方している人も
「執着しない」という心の拠り所を持っている。

この心の拠り所をつくれるかどうかが、
人をもっと優しくするのではないか?
人をもっと楽にするのではないか?
人をもっと強くするのではないか?
人をもっと豊かにするのではないか?
人をもっと痛快にするのではないか?
と考える。

主軸一本は驚ほど脆い

絶対的な主軸を一本だけ持つ。
こう聞くと、シンプルで迷いがなくて強そうに見えるが、
最近は「危ういんじゃないかな」と私は考えている。

・・・そうだっ!
宗教に例えてみよう。
日本では宗教の力は弱まってきている。
多くの人がそこまで宗教に熱心ではなく無宗教を自認している。
なぜか?
それは宗教に変わるものを信じることができたからだ。
それは「経済成長する会社と社会」だ。
戦後の日本は右肩上がりかつ年功序列で終身雇用という奇跡的なトリプルコンボで
「勤めてしまえばこっちのもの。首になりにくいし、お金はどんどん増えていくし、
モノはたくさん買えて便利になる。超安定!!!」と信じることができたし、
実際そうだった。

これは宗教以上に「安定」と「恵み」をもたらしていたのだ。
それもダイレクトで実用的な価値を人々に与えてくれた。
しかし、そんな幸せな成長時代も終わり競争が
激しくなり続ける苦しい時代に突入した。
あくまで・・・あくまで
「経済成長を絶対真理とする金融的な目線」だけで見るならば、
世はまさに奪い合い激化の低成長大競争時代!
「右肩成長!年功序列!!終身雇用!!!」という
ミラクルなトリプルコンボはもろく崩れ去った。
もうそんなことは信じることができなくなってしまった。
だが、激しい成功体験と成功するためのたくさんの努力(痛み)を作り出した以上
この「成長時代」という信仰(主軸)を捨てることはがなかなかできない。


こういったとき、別の主軸・・・
宗教みたいなものが再び救いとなるかもしれない。

古代のローマ帝国でもなかなか苦しい状態になってきてから、
キリスト教の影響が強くなってきたように。
もしかしたら、キリストだの仏教といったあからさまな宗教ではない
別の何かが心の拠り所として機能するかもしれない。

人が属している場所(主軸)がひとつだけというのは危うい。
人は・・・主軸をついつい一体化する性質を持っているからだ。
主軸が実態にフィットしていればいい。
まるで水を得た魚のように元気になれる。

だが、その場所(主軸)が崩れてしまったとき、
自分を支えるものがなくなったとき
非常に苦しい。実に苦しい!
まるで大切な自分の体の一部をもぎ取られたみたいに。

例えば、「就活や仕事に失敗して自殺」というのはまさにその典型例だ。
この場合は、「仕事で成功することこそ人生!」という主軸しか創造できず、
その主軸を捨てることも新しい主軸をつくることができなかったために・・・
死んでしまう。
物理的にダイレクトに殺されるダメージがないのにもかかわらず、
死んでしまう。
惜しい。実に惜しいことだ。
一か所にしか自分の支えとなるものしかないが故に、
それがなくなったときもろく崩れさってしまう。

逆に、ものすごく恵まれた環境にいる人でも、
主軸創造力がないと、
心の中で苦しみ続ける可能性はある。

だがもし、場所(軸)が2つあったら?たくさんあったら?
もう一つの軸を支えに生きていける。
いくつもの支えがあるので執着を減らすことができるかもしれない。
執着が減れば、自分が持っているエネルギーに余裕が生まれる。
余裕が生まれればもっと自然体に楽しくゆくる生きることができると思う。

人はもっともっと主軸を持っていいと思う。
もし、自分にフィットした主軸がなければ、
新しく作ることもいいと思う。
そうすれば、もっとゆるくて優しい環境をつくれるんじゃないかと
私は思う。

心の拠り所は人それぞれ

人それぞれに好き嫌い得意不得意があるように、
心の拠り所はたくさんあり、人によって違う。

得意分野や特技かもしれないし、
成績や仕事かもしれない、
友人や家族や同志かもしれないし、
憧れの人かもしれないし、
動き続けることかもしれないし、
学問や知識や教養かもしれないし、
文化や芸術かもしれないし、
遊びや心に来るいい意味で無駄なものかもしれないし、
大好きなモノかもしれない、
宗教や哲学かもしれない、
お金や地位かもしれないし、
地元や憧れの都市かもしれないし、
自力でつくりだされた何かかもしれない。

おそらく誰もが何かしら一つが持っているだろうが、
さっきも言った通り、
別に主軸は一つじゃなくてもいい。

たくさん持っていてもいい
たくさんつくればいい。
主軸をいくつか持っていた方が楽になる。
どれかの主軸がダメになっても他の主軸が支えてくれる。
実にありがたい。

主軸の中には、ダメになっても捨て難く破壊し難く、
しぶとく残り続けて高いコストを必要としてしまうものがある。
苦楽を共にすればするほど、その主軸は体にベッタリまとわりついて、
捨てがたいものになってしまう。
実にきつくて辛い。

そんなときはどうしよう。
その痛みを生む主軸を捨てることが難かしければ
他の主軸を作り出していくことでどんどん薄めてゆけばいい。

例えるならば・・・
苦手な野菜ジュースに好きな果物を混ぜて
嫌いな味を好きな味に塗り替えて飲めるようにするみたいに。

主軸はどうやってつくろうか

「そうはいっても、心の拠り所である主軸って
どうやってつくればいいの?」

手っ取りはやく主軸をつくるには、
何かと接触すればいい。

接触方法もまた人によって違う。

コミュニケーション大好きっ子なら人と会うことかもしれない。
想像力豊かな内省的な人ならば、文字系である本とかかもしれない。
直感派なら、写真や音楽やアートかもしれない。
肉体派なら、体を動かすことかもしれない。
ロジカル派なら、数字・数式や論文からかもしれない。
籠城派なら、静かな部屋で思考実験をし続けることかもしれない。
創作系なら、何かをつくることかもしれない。
・・・・etc・・・etc・・・etc・・・。

それぞれが得意とする接触方法で何かに接触することで
心の中に新しい主軸や主軸となり得るものがつくられる。

次回

次回は主軸創造方法の内の一つとして、
個人的に気に入っている
教養についてお話をしたいと思います。

Pocket

The following two tabs change content below.
「世界を痛快一変する」こと信条に企てを実行するKAIDENDOの創始者。 強みは、人と組織の持つ世界観を芸術化できること。 その強みを活かし、人や組織の持つ理念を芸術可視化するサービス「RINE」運営。 現在は、ライフログサービスYATAABA開発中。

0 comments on “主軸をたくさんつくれる力があれば幸せな実態をつくれるのでは?Add yours →

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です