「誰かの基準で戦うことは不毛」 たくさんの基準があれば、価値の定義は広くなる

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ようこそ、ようこそ、ようこそ!
KAIDENDOの中村卓矢です。

突然ですが何かに挑戦するとき、皆さんはどちらのタイプですか?
自分ではない誰かがつくった絶対的な基準と世界観が支配する場所で挑戦するか。
それとも、自分がつくった基準と世界観によって創造された場所で挑戦するか。
さて、どちらでしょうか?

個人的な意見ですが後者の方に魅力と痛快さを感じます。
なぜならばっ!

信じているからです。
そっちの方がより価値の定義が広がり、
自然体で価値を生むことできるからと・・・
信じているからです。
これは、RINEを始めた目的と動機のひとつでもあります。

今回は、どうやって価値の定義を広げ、自然体でも活躍できる状態をつくる方法を
お話ししたいと思います。

まとめ

価値の定義を広げるにはどうすればいいか。
結論からいいましょう。
それを実行表現するポイントは二つ。
すでにある基準ではなく新しい基準と世界をつくること。
新しい基準でなくても自分にフィットした基準と文化を発見して所属すること。

これができれば、
もっと、もっと、もっと!
「人々が持つ価値という定義を広げることができるのではないか」
「より自然体に価値を発生させられる」
と我々は 考えています。

絶対的基準で戦う難易度といったらもう・・・

ひとつの基準・・・客観的で限られた基準を極めるというのは、わかりやすいし効率的だ。

例えば、常識とかそんな性質を持っている。
そして、多くの人は知らず知らずの内に、すでに決まってしまった常識に則って、
行動していく。

皆さんにもそんな経験はないだろうか?
例えば、それは絶対的なルールや基準が支配するスポーツの世界のような場所。
新しい基準が入る余地がない、勝者の椅子の数が少なすぎる、それにもかかわらずライバルがやたらめったら多い世界のことだ。
そういった世界では、我々はついついこう考えてしまうかもしれない。
「ここを直さなければ」
「これはこうしなければならない」
「◯◯◯で一番になる!」といった具合に。

だが、裏を返せば、その限られた基準に合わないものや満たせないものは、
淘汰され価値がないとされてしまうこと、
視点を狭めているということ、
になってしまう。

それは、果てしないく激しい競争、おびただしい数の敗者、埋もれた価値を殺し価値の定義の萎縮を生み、新しい価値が生まれる土壌を狭めてしまう。

つまらない・・・それでは、実に窮屈でつまらない。

個人的な体験だが、私にとって初めて強くその辛酸を舐めさせられたのは、部活動だった。
私は運動が苦手だった。嫌いではなかったが誰よりも・・・誰よりも苦手だった。

だが、なんてことだ!
通っていた学校は部活動は強制参加で、しかも全部運動部しかない。
ここではルールと常識がすでに固まってしまっている。

そのときは、そのルールと常識の上で「スポ根漫画の様に努力して強くなるぞ」という固定概念的な考えを実行したが・・・これは失敗だった。

テニス部だったのだがどうしてもドライブなどが打てず、すべてカットボールと化してしまう。
カットボールは甘い球であることが多いので、どうしても強く打ち返されてしまい負ける。
どうあがいても、もがいても私は勝てない。

「でも、やらねば」という固定概念がそれを許さない。どんどん泥沼にはまっていく。
おまけに運動部の雰囲気にもフィットもしないから好きにもなれない。
居心地が悪いったらありゃしない。
まさに負のスパイラルだ。

つまらない・・・それでは、実に窮屈でつまらない。

この部活動のルールは私にとって不利なものだった。
でも、もし仮に、このルールを変更できたとしたらどうだろう。

極端な例だがもし、「甘いボールだけで抑えるという難易度の高い方法でラリーを制している」「故にカットボールのみで相手を制したら点数は2倍」という評価基準を加えることができたら、
もっと活躍できていたかもしれない。

新しい基準は価値の定義を広げる

だからこそ、たくさんの基準、たくさんの正解、多様性をつくっていくのだ。
そうすれば、活躍できる土俵、価値の定義は広がっていく。
活躍の定義が広がり、一見すると価値がないと思われている人も活躍することができるようになる。

多様性をつくることは楽しく実に・・・実に痛快だ。

「では、どうやってつくるの?」

ポイントは二つ。そうっ、二つだ!

一つ目。
すでにある基準ではなく、新しい基準と世界をつくること。
すでにある基準には、皆が認めた基準なので大きな影響力があり安心感もあるが、
その代償に逆らえない絶対的な基準がありライバルもモリモリ盛りだくさん。実に・・・実に厳しい。

ならば、ちょっと外れたところに自分の土俵をつくるのだ。
自分に有利な土俵を。自分が自然体でも勝てる土俵を。

最初は、半信半疑や不安を感じるかもしれない。
なぜなら、現状の常識的に考えたら外れているから。
でもそこは自分で考えた新しい常識で正しいのかを考えるのだ

価値の定義を広げるってことは、そうゆうことなのだ。
そこがっ・・・逆にチャンスなのだ。
半信半疑や不安ならば多くの人はやってこない。

二つ目。
新しい基準ではなくても自分にフィットする基準を。
新しい基準をつくることが難しいパターンもあることだろう。
ならば、せめて・・・
せめて自分にフィットする基準と文化(フィールド)を見つけてみよう。
例えば、魚は水の中では生き生きしてポテンシャルを発揮するが、
水の外にでたら力を発揮できず逝き逝きしてしまうように・・・。

これは人にも当てはまる。
ならば、自分のフィットする基準と世界を把握しよう。過去の経験から分析してみるのだ。
得意なこと、没頭できること、好きなことを。
もしくは嫌いなことや苦手なことからから、その反対を見つけるという方法で。
そしてそれらから共通項を探してみるのだ。
把握したら、あとはフィットしそうなフィールドを探すのだ。

この2つをつくるのだ。
そして表現するのだ。
そうっ!創造主の如く。

価値が広がった世界

多様性があればこんな世界が待っているかもしれない。

Aという評価軸ではダメな人も、Bという評価軸では優秀にになるかもしれない。
例えば、コミュニケーションという評価軸では低くても、技術という評価軸では優秀という具合に。
ビジュアル的にはブサイクだが、インパクトと記憶に残りやすさという評価軸では優秀といった具合に。
反常識的であつかいずらいが、違った目線から、新しい文化の旗手として優秀といった具合に。
今あげたのはわずかな例だが、もっと、もっと、もっと
たくさんの評価軸と価値があることだろう。

さらに、これらの要素を足したり、掛けたり、混ぜたりなど多用な応用をしたらどうなるだろう?

もっと、もっと、もっと!人々が持つ価値という定義を広げることができるのではないだろうか?
新たな独創や価値が生まれる余地を広げることができる。

そしたら世の中は実に・・・実に痛快な世界になる!
我々はそう考えている。
我々の場合はKAIDENDOとRINEがその表現手段だ。

皆さんも、いっしょにやってみよう!
表現するのだ!まずは自分の手のとどく小さな世界でもいいっ!
創造主の如くっッ!!!

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「世界を痛快一変する」こと信条に企てを実行するKAIDENDOの創始者。 強みは、人と組織の持つ世界観を芸術化できること。 その強みを活かし、人や組織の持つ理念を芸術可視化するサービス「RINE」運営。 現在は、ライフログサービスYATAABA開発中。

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