創始者について

201308カナダにて

ようこそ、ようこそ、ようこそ!!!

私の名は中村卓矢と申します。
「世界を痛快一変する
(自分達が愛するものを通じて、好きな人達と一緒に、痛快さや衝撃で世を一変する)」
ことを信条に

サービスや事業を行っているKAIDENDOの
創始者兼理念芸術家です。

まずは簡単な自己紹介から。

中村卓矢とは? まとめ自己紹介

幼い頃、芸術とテクノロジーと起業家という存在に衝撃を受け
「世界を痛快一変する」という理念を持つようになる。
現在は理念に沿った企て(サービス・事業)を実行する為にKAIDENDOを創設。

「自分の世界観が可視化されたら、他の人と共有できるのではないか」「ひいては、自らの持つ世界観に向かって生きる世界を創れるのではないか」と思い、自分の強みを活かし、
独立志望や起業されている人々や組織の持つ理念・企業文化(組織文化)・ビジョンといった世界観を芸術化して人々をインスパイアし続ける事業「理念を絵にして感情を揺さぶるサービスRINE」を開始し、数十もの人や組織の理念を絵にしてきました。

「世界を痛快一変する」為のビジョンはたくさんあるのですが今のところ2つあり

ひとつはっ!「人々が自分の世界観に向かって生きる世界」を創る為に芸術という手段を通じて人々の持つ世界観を可視化するなど世界観ビジネス「RINE」を展開していくこと。

もうひとつはっ!!「自分や世を支えるものの壮大なる記憶を残し、記憶を元に自らを最大源活かし続けることができる世界」を創る為に、人々の生活や人生におけるありとあらゆる記憶や情報を全て集めた人生情報集大成事業というITサービス「YATAABA(ライフログサービス)」を作り展開していくこと。

まずはこの2つビジョンで現状に挑戦してみたいと思います。

特技は世界で唯一、人や組織が持つ世界観(理念・文化・価値観・ビジョンなど形なきもの)を芸術化する能力。

趣味は、
芸術をする・みることと
ゲームと映画と漫画と読書と株式投資と探検。
それと仕事!(世界を創ること)。
寝ること。

好きなものは、

  1. オーケストラ系統の音楽!伊福部昭・吉松隆・ベートーヴェン・チャイコフスキー・ショスタコーヴィチといったクラシックや、映画やゲームの音楽が好きです。
  2. 人の背後のある物語

さてさてさて・・・・・、簡単な紹介が終わったところで、今から長いですが・・・・、

本格的に自分のことをお話したいと思います。お付き合い下さい。

本格的自己紹介 これまでの人生

どんな人生を送り、どんな理念を持つに至ったのか?

「心を打つ芸術家という衝撃」

私は千葉県の田舎に生まれ、芸術が大好きな少年時代を送っていました。
私の家には山程のクラシック音楽のCDがあったこと、
曽祖父が集めたであろう剥製や工芸品がならぶ不思議な空間があったこと、
さらにピアノ教室や書道に通っていたためか、芸術に興味を持つ少年になっていました。

オーケストラの音楽や絵などの芸術を見ると
「ああっ・・・!こんなにもっ・・・!こんなにもっ・・・!!こんなにもっ・・・!!!すごく壮大で感動するものが人間の頭から生まれるのかっ!」と子供心ならが感激していました。

その後も、狭義的な芸術に限らず建築や情報技術やロボットといったテクノロジーや、映画やゲームなどのエンターテイメントなど興味を広げながらも、「ああっ・・・!なんだこれはっ!痛快だっ!!!」と、感激を感じていました。

それからというもの私は壮大なことを考えることが好きになり世界を創りたいと思うようになりました。
世の中や自分の力の範疇をはるかに超えた夢。今はまだ自分の頭の中にしかない世界観・・・。

それが実現すれば世界はさらに痛快になると信じて疑いませんでした。

しかし、当時はどうやったら実現できるのかはわかりませんでした。

少しでも自分の頭の中を世界を具現化したくて
よく絵や設計図を描いたり、模型をつくったりしていました。

例えば、高層建築がならぶ未来都市のようなものや、ヘンテコリンな建物。庭に池をつくって水上都市をつくったり宇宙に浮かぶコロニーや客船といった巨大な乗り物とかの模型や絵をつくったりしていました。オーケストラ音楽も好きだったのでピアノで簡単なテーマ曲も作曲してみたり。

小さな具現化行為ですが、自分にとってはすごく面白いと感じていました。ただ誰かが与えてくれたりつくってくれたものを消費したりなぞるだけでは決して得られない楽しさでした。

でも、これじゃ足りない。まだ途中なのです。やはり頭や絵から現実に飛び出した本物をつくりたいという思いがどんどん強くなっていきましました。

「起業家という衝撃」

そんな風に感じ始めた小学時代、ある存在に衝撃を受けました。
それは起業家達です。

彼らは自らの想像を実現する為に多くの人やものや力を巻き込み強い意思を持って挑戦し続け、そしてその想像を実現し世界に大きなインパクトと価値を与えていっている。

その例は、家電・衣服・乗り物・医療・IT・建築・買い物・エンタメ・時には人々の価値感や文化も変えてしまうなどなど書ききれない程たくさんあります。

彼らが挑戦し、想像を実現し続けることで世界さらに痛快に理想へと近づいていっている。

自分達の没頭できることや大好きなことを、人を巻き込んで実行していく痛快さっ!

問題や失敗続きや惰性的な価値感といった人々を蝕む悪しき制限にぶちあったたとしても、無責任で他力本願的な不平不満をいったりして何もせず我慢するのではなく自らそれを破壊していく気概っっ!

たとえそれがどんなに困難なことでも、失敗続きで周りから「夢物語だ」「くだらない」と言われ続けても、貧しい状態を強いられても自分達のつくる明日の世界を信じて挑戦し続ける。

私はその生き方の痛快さに魅了され

「これだ・・・これこそっ!自分の生き方にするべきである!会社をつくって自分の世界観を実現して、世界を一変させてしまおう!」と考えるようになりました。

ちなみにこの頃(小学2年生頃)は、いまだかつてない壮大な建造物を創り運営する会社を作ろうと考えていました。

「現実の理想のギャップ」

さて、起業家を決心したはいいけどここでやってくるのが現実と理想の大きなギャップです。

自分は泣き虫で内向的な性格でおまけにこれといって取り柄もありませんでした。

学校生活における評価基準である部活(運動)・勉強・コミュニケーションのどれもいい結果をだせておらず。
特にコミュニケーションは苦手で、友人はあまりおらず。

おまけに共通の話題が少なく言動が少々変だったらしいのでいじめっこ達の格好の的にされ、すっごい惨めな気分になり悲劇の主人公を気取りになりながら自信をなくしていました。

特に中学・高校での学校生活は本当に最悪でした。

また起業に必要な能力もまったく皆無です。戦略・マーケティング・ファイナンス・PR・テクノロジー・・・。

というか何に手をつけたらいいかわかりませんでした。

とりあえず最初はビジネス的な本を読み知識をつけようと考えました。

田舎なので隔週で図書館から本を取り寄せてもらい分厚く堅苦しそうな本を図書館から借りてきて、難しさと眠気と格闘しながら読んでいました。

中学生の頃から本をよく読むようになっていたのですが、本で情報を知っても自分は内向的なので人を巻き込んだりすることは怖くてできず、漠然としたまま時間が過ぎていきました。

「新たな情熱 青春を賭けた株式投資」

そんな惰性的な生活を送っていた中学2年の頃、株式投資のことを知りました。

「投資は、たった一人でも、一般人に揃えられる程度の資金でも、富豪へ至るチャンスがある数少ない機会(手段)の一つである」

「内向的でも、コミュニケーションが苦手でも、お金持ちになれるぞっ!」

「画面の向こうには、いろんな投資家がひしめき投資という戦場で戦っている。圧倒的なプロから、弱者まで。そこにたった一人で乗り込み、世界を相手に勝負をするなんて、ワクワクするじゃないか!!!」

「投資をマスターすれば、目標達成をするプロの心理(自分をコントロールする力、自己規律)を磨くことができる。そうすれば、投資に限らず、人生の様々な面において、成功することができるかもしれない。もちろん経営においても。」

「そして、自分は好きなことをする人生をつかめる!!」

と私は考え、株式投資で金持ちになってそれを元手に自分のやりたい事業をやろうと計画を立てます。

当時は年齢制限で口座がつくれなかったので親に「株をしたい」と交渉しましたが、結果は「投資なんて絶対するな」「現実をみろ」ということになり却下。

ですがここで引き下がるわけにはいきません。粘って交渉した結果「受験が終わって大学生になったらいいよ」ということになり、大学生になるまでは受験に集中する普通の高校生活を送ることになりました。

そして大学生になり私は「大学卒業までに株式投資のプロになる!」という目標を掲げ、株式投資実践を解禁します。

さらに大学生になったこの頃から本気で将来自分がやる事業のアイデアを考えたりセミナーに参加するなど、将来につながりそうなことへの行動を徐々に強化させていくようになります。

大学時代・・・いや、もしかしたら人生で最も力と時間をかけたのが株式投資かもしれません。

中学・高校である程度知識を得ていたので「知識があれば、頭がよければ成功できる!」と当時は信じていました。

だがしかし・・・。

まるで海辺の浜にある砂の城が崩れるかの様に・・・コテンパンにやられてしまいまいます。さらにはリーマンショックにより買った株が倒産し紙切れになってしまうという非常に悔しい失敗を犯してしまいます。

この時手痛い失敗に怒り狂いつつも私はいくつかの気づきを得ることができました。

「知識は知ったからといって使いこなせるわけではない・・・。例えるならば、水泳の知識があるからといって、泳げるとは限らないように・・・。インプットと実践をセットにしなければならぬ。」ということ。

「記録をつけて分析し改善することの重要さ」ということ。

これは後に自分が最も実現したいビジネスである「人生情報集大成事業」の動機のひとつにもなりました。

どちらも至極当たり前のことですが、やはり頭の中(理想)と現実の違いというものを実感させられます。

その後も負けた悔しさと将来へのやりたいビジョンをバネに株式投資にどんどん没頭していきます。

週6日大学の図書館に通い株や自分の状態を記録し、分析し改善策を練って次の投資で実行。

私は内側に陥没してしまうくらい内向的で、あんまりコミュニケーションが得意な方ではなく友人もそんなにいなかったので、一週間のほとんどを大学講義・読書・株式投資の実践と研究に時間を費やしつつ、ちゃっかり映画やサントラを楽しんで寝るという極めてインドアな生活サイクルを繰り返していました。

結果論でいうと株式投資は失敗に終わるのですが、毎日少しつづ目標に向かって進む楽しさや目標実現に必要な教訓、記録の重要性、失敗から学ぶ大切さと習慣化、そして自分が真に成したい事業アイデアを得ることができたことがせめてもの救いです。

「落伍者」

そんなこんなしている内大学生活にも終わりに近づきます。

陥没する程内向的な自分は、株式投資の実践と研究に没頭するあまり就活には力がはいっておらず、失敗ばかり。面接にいっても緊張のあまりしゃべれないというどうしようもなさ。面接前に緊張し過ぎて吐くこともしばしば。
そのあまりの緊張ぶりに面接が終わった後の見送りの際に、面接官の一人から「緊張しすぎたよ。まぁまぁ、落ち着いてやりなさい」と言われることも何度かありました。

そしてついにリミットが来てしまい、人生で最も力をかけたであろう株式投資と就活にも失敗し、夢敗れた自分は実家に強制送還されてしまいます。

人生で最も時間と力をかけたものの目標が達成できず実家に帰ってきたときは、強い不安とショックを受けましたが、ショックが強く一回りしたためか

「全力で挑んだ株式投資も就活も失敗した。もうこれは自分で新しいルールを創ってビジネスをするしかないな!」という謎の開き直りをしました。

とりあえずニート状態では何もできないので、バイトをしながら新しい道を模索し始めます。

「周一東京遠征の始まり」

バイト生活をしてしばらくたった頃、貯金の増えてきたので「よし。田舎にいてもビジネスへのチャンスはなかなか手にはいらない。これからは、周一くらいのペースで東京にいき、ちょっと自分の環境を変えてみよう。そして起業のチャンスを探ろう」と考え試しにfacebookで検索してヒットした交流会に参加してみることにしました。

そこには今まで自分の周囲には少なかったタイプの人たち、こうゆうことをしたいという人や実際に起業して実績を出している人達がいて、私は彼らに自分のやりたい事業をぶつけていきました。

その時、今でもお世話になっている友人と知り合い、彼から「一緒に経営の勉強をしよう」と誘われました。

私は直感的に「面白そう。これは環境を変えられるチャンスだ!」と感じここから私の周一東京遠征が始まりました。

「世界観が価値観が理念が決まる」

東京での勉強会に通い始めてからは経営の知識のインプットやアウトプット、企画を立てて実行するなど色々やっていたのですが、その中でももっとも重要な作業だと感じたのが自己理念とビジョンを決めるというものでした。どうして理念を決める必要があるのかというと、人には十人十通りの価値観やゴールがあります。これが決まっていると行動がぶれることなく、自分の価値観やゴールに向かって成長し続けられるし、ワクワクし続ける為に必要なのです。

軸がないとぶれぶれの行動をしたり、気がついたら自分が望まない状態に陥ってしまうことがあるので、これを決めることは、とてつもなく重要なことなのです。

自分には一応理念的なものがありましたが、これを機会に自分の理念をしっかり明文化して決めることにしました。

「我々は・・・中村卓矢は一体何者なのか。何の為に、何を成そうとしているのか?」

数ヶ月、一体何を成したいのか、どう在りたいのかというのを自分の内面と対面する日々が続きます。

「自問し続ける」これは本当に、実に、有益な行動でした。

世間の多くの人々が「これはしっくりしない」「これは自分がすべきものではない」「つまらない。辛い。でもだからといってやりたいこともない」と感じながらも、好きでもない価値観に支配され、日々の生活に忙殺され、大切な何かを忘れてしまっているからです。

でも私は、この行動のお影で自分の情熱を感じること、成したいこと、ワクワクすることを再発見することができたのは実にラッキーなことでした。

そして再発見された私の理念。即ち信条。それは・・・

理念「世界を痛快一変し続ける」


※中村卓矢の理念を表した理念の絵「痛快者達」

頭の中にあるものが外(現実)に出るまでの過程、そして出た(実現)瞬間というのは、実に楽しい。そうして生まれたものが、人々や世界に衝撃を与え驚かせたり、喜ばせたり、さらには、「俺もやったる!」と情熱に火をつける。なんと痛快でワクワクすることだろう。

私の場合は、絵と模型をつくることがそうだった。しかし、これはまだ私の具現化行動の序章に過ぎない。まだ途中なのだ。まだ本当の段階まで到達していない。

脳から絵に、絵から具体的な方法に、具体的な方法から現実に。さらに人々を痛快化(楽しい体験を与えること。更には自ら楽しい体験をつくる存在に)する。そして最後に私がこの世をさっても、永続する素晴らしい文化・・・・即ち世界を痛快し続ける文化をつくる。これが私の具現化行為のプロセスだ。この具現化行為。一人では到底無理だ。それに、一人だけでは寂しいし辛いし無力だ。夢は一人で見て実現するのではない。誰かと一緒に見て実現するほうが、断然楽しい!

だから、私は痛快なる仲間達・・・・世界を変えられると本気で信じ、自分達のやろうとしていることに情熱と愛情を感じる者達と共に、世界を痛快一変する道を歩んでいきたい。

自分達の愛する好きなコト・没頭できるコトを通じて、自分の好きな人達を巻き込んでいき、引いては、痛快さや衝撃でこの世界を一変する

「自分は昔から壮大なことを考えることが大好きだった。それを空想ではなく本物にしよう。そして自分達の行動や創ったもので全世界をガラっと一変させてしまおう。文字通り以前の状態が考えられない、戻れない変化を!力を!価値を!世界を与えよう!!」

「痛快な存在でありたい。惰性・不利・恐怖・不毛・古い常識・不足・つまらなさ・怒り・・・人や世界を蝕むあらゆる制限を飛び越え、自分や仲間や価値を与える相手など含む多くの人を巻き込みながら、痛快な世界を与えよう。最初は不完全でも失敗ばかりやらやしても、徐々にすごいことをしていき一変する、理想を自然体で体現できる世界観を作り出そう!」

そうゆう意味を込めてできたのが

世界を痛快一変し続けるという理念です。

私は今も、そしてこれからも、この自らの理念と世界観に従って行動し体現していき、世界に貢献していきます。

さて、ではこの理念を何で体現するか・・・・。

それは・・・・・。

また後程お書きします。

理念・価値観

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2015上半期
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